ライプニッツ

Gottfried Wilhelm von Leibniz


Born: 1 July 1646 in Leipzig, Saxony (now Germany)
Died: 14 Nov 1716 in Hannover, Hanover (now Germany)


肖像画


 ライプニッツは授業では ライプニッツの公式 がありました.

(fg)' =  f' g  +  fg'

という高校で習った積の微分の公式を高階導関数に拡張したものでした.



 ライプニッツは小さいときから読書が好きで,8歳頃から父の書斎に入り, ラテン語の絵本を見ながら一人で勉強した.その後ギリシャ語も独習した. このように彼の語学力はすばらしかった.

 15歳でライプチヒ大学の法科に進み,哲学に興味を持ち, デカルト の哲学を知り,どうしても数学の勉強をしなければならなくなった.

 このような背景が,同じ微積分学の 創設者 (「解析学を作った人々」を見よ) と言われていても ニュートンとの違いである. 彼は数学者であると同時にすぐれた 哲学者 でもあった.

 その後,ライプニッツは外交官になって, マインツ選帝候,ブルンスヴィック家,ハノーヴァー家に仕えた.
 1673年には政府使節としてロンドンに赴いており,王立協会の会員にも なっている.

 実はこのことが後の ニュートン との 先取権争い のもととなったのであるが...

 この時に彼がニュートンの論文の写しを目にしていたとも 考えられるからである.

 ライプニッツは1676年までには,ニュートンがその数年前に得ていたと 同じ成果に到達していた.

 すなわちいろいろな関数に 普遍的に使える非常に有効な方法 (今で言う微分積分のこと) を手にしていたのである.

 そして彼はそれに新しい用語を導入した.
関数,微分,座標,微分方程式,dy/dx ,積分記号 などはすべて彼の命名である.


ニュートンとライプニッツ


 ニュートンの著作 『プリンキピア』 の初版(1687)でニュートンは微積分に関して ライプニッツも同様な方法を得ていることを 認めていた.

 しかしその発見の独立性と先取権について,双方の支持者たちの間で 苦々しい論争を繰り返した後の1726年の第3版では ライプニッツの微積分についての箇所は 削除していた.

 今日ではニュートンの発見はライプニッツより10年ほど 先んじていたことがわかっている.しかし,ライプニッツは ニュートンとは 独立に発見 していたのである.

 そのうえ,出版に関してはライプニッツの方が先であった. ライプニッツは1684年の 『学術論叢』に論文を載せていたからである.
(ニュートンのページ参照)

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